鉄観音の名前の由来も何説もあります。こちらではその内2つをご紹介いたします♪ どちらも清の乾隆年間のお話です。
※お話の中の細かい部分は諸説ありますが、ここでは「清心泡壺 台湾茶」(周君怡著 太雅生活出版社 2000年)にまとめられたものを参照しました。
■ 書生 王士涼のお話 ■
清の乾隆帝の世に、安渓に王士涼という書生がいました。ある日王士涼が友達たちと集まっている時、 観音山のふもとで、とても姿の美しい茶樹を見つけました。彼はその茶樹を自宅に持ち帰り、庭に植えてとても大事に育てました。
茶樹は日に日に成長し、王士涼は若芽を摘み取ってお茶にしました。飲んでみると、 当時の烏龍茶と比べて相当に味わいが良かったので、その年王士涼はそのお茶をもって大臣に会いに行きました。
大臣が乾隆帝にそのお茶を差し上げたところ、乾隆帝はそのお茶を飲んで非常に喜び、 そのお茶が観音様の様に美しく、鉄のように重かったことから「鉄観音」と名付けたそうです。
■ 茶農 魏飲のお話 ■
清の乾隆帝の世に、安渓に非常に信心深い魏飲という茶農がいました。 彼は何十年もの間、一日も休むことなく、毎朝 観音菩薩にお茶をお供えしていました。
ある夜魏飲は、夢を見ました。観音菩薩が裏の山の崖に現れたので、すぐさま跪いて拝んだところ、 崖の石壁に、蘭のような香りを放つ、何ともいえない美しい姿の茶樹が生えてきました。 魏飲が手を伸ばして葉を摘もうとしたところ、うるさく犬の声がして、魏飲は夢から覚めました。
目が覚めた後、どうしても寝付けなかった魏飲は、夢の印象を頼りに、山に先程の夢で見た茶樹を探しに行きました。 そしてついに山の奥深くで、魏飲は夢の中と同じ茶樹を見つけました。
数葉摘み取り、家に持って帰って製茶して飲んでみたところ、その味わいは何とも素晴らしく、茶中の王と呼んでよいほどでした。
次の日魏飲は再び山に登り、挿木法でそのお茶を繁殖しようと、鉄鍋の中に挿木しました。 そうして育った茶樹も、もともとの茶樹と同じ味になったので、魏飲はそのお茶を家宝とし、 大事なお客様が訪れた時にだけ出してきて、ごちそうしました。皆口々にそのお茶を褒め、褒めないものはいませんでした。
ある日、町の塾の先生がこのお茶を飲んで、そのあまりの美味しさに驚き、魏飲にお茶がどうして出来たものか尋ねました。 魏飲は観音様の夢の話をしたところ、先生は「それはあなたの信心に感動した観音様が、 夢を通じて贈ってくれたものに違いない」と言い、さらにその茶樹が鉄鍋の中に植えたものであり、 茶葉が厚く鉄のように重いことから「鉄観音」と名付けたら良いのではないか、と提案しました。魏飲はすぐさま賛同し、 このお茶は「鉄観音」という名前で世に広まっていったそうです。
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