碧螺春の名前の由来
碧螺春の名前の由来の物語には2説あります。
1つは、清の康熙帝が
碧・・・鮮やかなみどり
螺・・・巻貝のような形
春・・・春のお茶
にちなんで名付けたという説。
もうひとつは、西洞庭山の「碧螺」と言う美少女と、その恋人阿祥の切ないラブロマンスです。
ここでは、その切ない碧螺春の伝説をご紹介したいと思います。
昔々、西洞庭山の上に、碧螺という善良な美少女がいました。東洞庭山の上には阿祥という漁師の少年がいて、 二人は相思相愛でした。
二人の住んでいた洞庭湖周辺はもともと豊かで、衣食に困ることのない土地柄でしたが、突然一匹の悪い龍が湖に現れて、いろいろと悪さをして 住民を怖がらせるようになりました。 悪い龍は「碧螺をわしの嫁にする。碧螺が承諾しなければ、風を起こし波を立て、災いをおこしてお前らの 安らかな生活を奪ってやる!」と人々を脅しました。
悪い龍の悪行には皆困っていたので、勇敢な阿祥は単身湖に入り、皆の為に戦いました。 数十回の戦闘を経て、ついに阿祥は龍を倒しましたが、阿祥は深い傷を負い、意識不明の重体になってしまいました。
傷を負った阿祥の為に、碧螺は山に登り、薬草を探しました。 ふと気が付くと、目の前に新芽が出たばかりの小さな茶樹がありました。
まだ早春で、芽がとても小さかったため、 碧螺は新芽を一つ一つ口に含み、彼女の体温によって新芽の成長を促しました。 碧螺はその新芽を摘んで持ち帰り、お茶にして阿祥に飲ませたところ、果たして阿祥は目を覚ましました。 碧螺は嬉しくてまた山に入り、全ての茶葉を摘み取って薄紙に包み、胸に抱いて茶葉を暖め、 手で揉んだ後で阿祥に飲ませました。碧螺の献身的な看病のおかげで、阿祥はだんだん元気になっていきました。
しかし阿祥の回復と同時に、碧螺はだんだん衰弱し、やつれていきました。 碧螺は茶葉の成長を促している時、自分の「元気」を茶葉に吸わせて成長させていたのです。 数日後、碧螺は永遠の眠りにつき、二度と目を覚ますことはありませんでした。
碧螺の死を悲しんだ阿祥は、彼女を茶樹の側に埋葬しました。 その茶樹は年々たくましく育ち、生い茂った茶葉からは優良な茶が出来るようになりました。 村の人は碧螺の真心の記念に、その茶を「碧螺春」と名付けたのだそうです。
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